阿賀野川に会いに行ってみた

宇井純さんという方が、反公害運動にかかわり水俣など多くの地域を見てきた経験から「大規模開発をやったり大資本に頼ったところは寂れてしまい、住民運動をやっていたところは元気で頑張っている」「運動というのは、やっている最中はえらく骨が折れてくたびれるものですが、やっただけのことはあります。」(『救現』9号、2005年)と書いておられ、そのことがずっと気になっていた。

川好きという個人的な趣味もあって、この10年ぐらい、多摩川や渡良瀬を歩いたり、まだ行ったことはないけれどホンジュラスでダム建設に反対して殺害されたベルタ・カセレスさんのことを調べずにはいられなかった。それが高じて、この秋、阿賀野川を見に行った。

阿賀野川に行ったのは、『阿賀に生きる』という映画がきっかけなのだが、1992年製作のこの映画、じつはだいぶあと(2007年)になってから観た。なんと製作のためにスタッフが現地に家を借りて住みこんだという手のかかった映画なのだけれど、公害(新潟水俣病)を告発するというトーンではなく、どれほど川の恵みを受けて人々が暮らしてきたかということが伝わってきて、それだけに公害のもたらしたものの大きさを感じることのできる作品だ。

今回、日程の関係で新潟水俣病を知るための施設

www.fureaikan.net

には行くことができなかったけれど、阿賀野川に面した絶好のロケーションの宿に陣取って(ご両親様ありがとうございましたw)、川を見ていた。ちなみに上記の映画撮影隊が住みこんだ家もそこからそう遠くない場所にあったようだ。

そうしたら早朝にボートでやってきて、川で何かしている人がいるのである。あとでライン下りをしたときに聞いた話では、しかけにかかったエビや川魚を集めている人たちだそうだ。

また、実際に目にしてみた阿賀野川の水の多さにも驚いた。年間総流量では国内第3位なのだそう。新潟には信濃川もあるわけだから、これだけの水の豊かさがあっての米どころなのだなあ、ととても単純な感想を抱いたのだったけれど… ついでに言うと、ご飯が美味しくて、駅で売っている幕ノ内弁当を、ほぼ人生で初めて美味しい!と思いました(笑)

そんなふうに実際に目にして感じたのは、川も人間の一部なんだということだった。人間も自然の一部とはよく言われることだけど、川も人間の一部であって、その川が汚されるということは人間も傷つくということ(有害物質が溶け込んでいる場合は物理的に傷つくのだが)。そして、それに気が付いて闘うことが、人間性のとても大事な一部を取り返すことにつながり、「闘った人たち(=地域)」を、豊かに強くするのではないか、ということだった。このテーマ、もう少し考えてみたいと思います。