鎌倉市川喜多映画記念館

 このところ、ちょっとした空き時間があると、つい鎌倉に足が向いてしまう。

 ただぼんやり海を見て、お茶を飲んで帰ってくるというだけのことなのだけれど、昨秋、吉屋信子記念館を外から眺めた(コロナのために一般公開は中止されている)ことが呼び水となって、いまさらながら文化的なことに興味が向いてきた。吉屋信子は昭和初期に大人気だった小説家で、小学校の学級文庫に彼女の作品が置いてあった関係で、よみふけっていたことがある。往年の大作家だった吉屋信子の自宅が市に寄贈されたものを鎌倉市が管理し、市民の利用に供しているのだが、鎌倉にはそのような施設がいくつかあり、吉屋信子記念館の近くには旧前田侯爵家別邸を利用した鎌倉文学館もあった。

 文学館の方は公開されているそうなので、そろそろ行ってみようかと思って鎌倉の地図を見ていたら、川喜多映画記念館という文字が目に入り、そのとたん文学館のことは頭から吹っ飛んだ。映画>>>文学な自分である… 川喜多+映画とくると私のなかでは「川喜多かしこ」という名前に自動変換される。それは今年夏に閉館が決まった「岩波ホール」の設立に尽力された女性の名前だからだ。といってもどんな方なのか、ほとんど知らないままだった。

 

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 鎌倉雪の下、小町通の喧騒からほんの数十メートルしか離れていない、閑静な住宅街のなかに記念館はたたずんでいた。

 

 じつは川喜多かしこさんは、現東宝の創業者である川喜多長政さんの公私に渡るパートナーで、一緒に海外の映画祭にも出向き、作品の買い付けにもあたられていた方だった。下の写真は記念館前に設置された、おふたりについて説明されたパネル。館内にはカンヌ映画祭にご夫婦で出かけた時の、海外のスター(イングリッド・バーグマンとか)や監督(あれ、誰だっけ?)との記念写真が展示されていた。こちらの記念館は川喜多邸のあった場所に建てられたため、庭で撮影された監督の写真などもあった。

 

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 現在、記念館では1970年代の米国の映画のポスター展が開催中(13日まで)。単なるポスターの展示ではなく、詳細な解説が付され、入り口で配られる年表には、当時の米国で起こったこと(それもかなり詳細に。こんなことまで、というようなマイノリティの動きなどにも触れつつ)や展示されたポスターの映画のデータ、同じころの日本で起こったこと、主な映画の興行成績などが記されている。

 

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 日本の大衆にも大きな影響を与えたであろう米国映画の数々のポスターの解説には、ジェンダーの視点も大いに反映されており、なるほど、このような時代ー映画界で(だけではもちろんないが)男性優位主義に対する異議の声がかき消されていた時代ーの中で岩波ホール(1968年開館)で、知られざる名作を上映するエキプ・ド・シネマ(フランス語で「映画の仲間」)*1が生まれたのだなと気づかされた。



kamakura-kawakita.org

 

 

*1:1974年に高野悦子と川喜多かしこのふたりが始めた”岩波ホールを根拠地に、世界の埋もれた名画を発掘・上映する運動”ー高野悦子著『岩波ホールと(映画の仲間)』2013年、岩波書店