罪の声

 先日DVDで観た『太陽を盗んだ男』と、コインの裏おもてのような映画『罪の声』の感想を。

 

 1984年に起きた有名な菓子メーカーの社長誘拐に始まる一連の脅迫事件…といえば、昭和生まれにはピンとくる「あの事件」を題材にした小説の映画化作品。原作は読んでいないが、事件で使われたみっつの「子どもの声」にピントを合わせ、犯人の立場でもなく、警察でも被害者でもない視点からのストーリー。自分の声が犯罪に使われていたことをしり、恐れと悩みを抱きながら事件の核心に迫っていくテーラーを星野源が演じていて、どこか浮世離れした童話の主人公のようなキャラがぴったりはまっていた。

 童話ではときどきひどく残酷なことが起こるのだけれど、彼自身は亡くなった父の仕立て屋をつぎ、その父にそいとげた老いた母、妻、幼い娘と幸せに暮らしている。そんな彼が、ある日家の押し入れで見つけたカセットテープに自分が犯罪に加担した証拠が残っていたのだから大変だ。というあたりまでは予告編で観たので話してもいいだろう。ここから先は小説か映画館でどうぞ。

 ふだんめったに日本映画は見ないのにこれを見たのは、『82年生まれ、キム・ジヨン』を見ようとチケットを予約したところ日付をまちがえ、ふりかえたらこれだったという理由。そんな観客でも、ぐいぐい謎解きの面白さにひきこまれてしまった。

 で、この映画に出てくる事件が『太陽…』と表裏一体だと思ったわけは、「劇場型犯罪」を地でいくところ。ラジオのDJに電話をかけて、原爆をネタに何を政府に要求するか希望をつのる『太陽…』は完全なフィクションだったけれど、この事件は、企業に脅迫状を送って警察を翻弄する犯人に、新聞やテレビをみながらハラハラドキドキしていたのを記憶しており、まちがいなく日本語世界を舞台にした犯罪だったからだ。

 いっぽうで犯人に何の思想的背景もなかった『太陽』とちがうのは、想像上の犯人グループのメンバーのひとりに、一度は社会の変革をめざした男をまぜたところ。学生運動の熱がまださめていなかった1979年に作られた映画では、におわせる必要もなかった何かが、今の日本では「見える存在」にしなければならなかったことなのだろう。60~80年代あたりの日本のサブカルチャー好きがみたらうなる配役がすごかった。ネタバレになるので書けないけれど…

 そして、この映画を観てよけいに感情移入してしまう理由は、声をつかわれた子どものひとりが自分と同世代だということ。映画の中で、その子が読んでいた映画雑誌の表紙に見覚えがあった。いまのようにGoogleにきけばどんな情報も知ることができる時代以前に、私も読んでいたから。

 ちなみに、コロナがなければ、この夏行くはずだった街が映画の終盤に登場する。その街をスクリーンで見ることができたのは、思いがけない喜びだった.

 撮影隊がひょっとしたら訪れたかもしれない(笑)旧友が営むPartisan

 

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