ベルタ・カセレスさんの死から3年(2)

COPINHとベルタ・カセレスさん

 ホンジュラスには、レンカ、トルパン(ヒカケ)、ガリフナ(モレノ)、ミスキート、ペチ(パヤ)、タワカ、チョルティの7つのエスニック集団が存在し、1988年の統計では全人口の12パーセントを占める。(『ホンジュラスを知るための60章』桜井、中原編、明石書店、2014)

今回、アグア・サルカ計画の予定地となったホンジュラス西部から隣国エルサルバドルにかけての地域には、マヤ系といわれるレンカ人が多く居住し、その人数は両国合わせて10万人程度と推定される。ベルタ・カセレスさんは、レンカ人として、インティブカ県ラ・エスペランサで1972年3月3日に生まれた。母親のアウストラさんは助産婦・看護婦として働きつつ、コミュニティの女性たちとともに、国際的な組織に対し、コミュニティへの支援・人権の擁護を要求していった人だ。そんな母を見て育ったベルタさんは、若いころからエルサルバドル内戦で追われるゲリラをかくまったりしていた。そして、1993年に当時の夫らとともにCOPINHを創設した。(http://laquearde.org/

COPINHは主としてホンジュラス南西部の先住民族の文化の復興、自然環境の保護、生活の改善などを求める非営利団体(http://copinh.org/)であり、ブログ、SNS、動画などを使っての情報発信や啓発を行いながら、デモ、座り込みなどの直接行動により、森林伐採、鉱山、ダムなどの開発計画を阻止してきた。ダム建設に反対するメンバーのなかには殺害された人たちもおり、ベルタさんは死の直前にその一人の死の真相究明を求める申し立てを行ったばかりだった。

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普段着のベルタさん。自然のなかで

 

ホンジュラスの国内情勢と不処罰

国連薬物犯罪事務所が2014年に発表したところによると、ホンジュラスは国民10万人当たりの殺人件数が91.4人で世界最高であった。ギャングへの勧誘を恐れ、米国めざして子どもだけで出国する子ども移民も多い。また、米州機構国際人権委員会(CIDH)は2016年2月の報告書で、「女性や先住民族、アフリカ系のひとびと」などが、差別や経済的・社会的な排除の結果として、もっとも暴力にさらされやすくなっていること、こうした人びとの人権保護のために活動する人びとも危険にさらされていることを指摘している。

ホンジュラスでは2009年6月28日に軍部の後押しによるクーデタが起こり、同年11月の選挙で当選した国民党のポルフィリオ・ロボが現在大統領をつとめている。一時国外追放となったマヌエル・セラヤ元大統領が、米国の独立系メディアDemocracy Nowへのインタビューで語ったところでは、連れ去られた先は米軍基地だったという、不可解なところも多い事件だが、国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルの報告では、このクーデタ後、デモに参加した前政権支持者たちが「警察と軍隊に恣意的に拘禁され、殴打と虐待を受け」、「セラヤ支持者が逃げ込んだホンジュラス失踪者家族委員会の事務所に催涙ガス弾」が撃ち込まれた。「6月のクーデタ以降、トランスジェンダーの女性の殺害が著しく増加したという証拠が出ている。」そして「殺害の捜査記録はなにも得られていない」(「世界の人権2010-2011」)

このように、現在ホンジュラスで顕著にみられるのは、犯罪に対する免罪、不処罰だ。CIDHの報告書によれば、警察や軍警察自身が非合法的な暴力を行使することがあり、ときには組織犯罪にかかわっているという。そして、こうした不正を報道することも命がけだ。つい先日も「人権を守るジャーナリストたち」による抗議行動が行われた(5/25、エラルド紙)が、2001年から現在までに起きた64人のジャーナリスト殺害事件の95%の犯人が捕まっていない。殺害されたジャーナリストたちは、汚職や麻薬取引、人権侵害についての報道を行っていたという。国境なき記者団の世界報道自由ランキングをみても、10年前の2006年には62位だった指数が、2009年128位、2010年143位と低下している。(2016年は137位)

 3月のカセレスさん殺害の際、たまたまベルタさんの家に滞在していて自分も撃たれて負傷し、事件の目撃者となったグスタボ・カストロ・ソトさんの証言からも、不処罰の構造が見えてくる。

グスタボさんは、メキシコのNGO「Otros Mundos AC/Chiapas・FoE」のメンバーで、COPINHとのワークショップのために滞在中だった。ベルタさんが殺害された晩、当初は別の家に泊まる予定だったが、インターネットを借りるため、そして、彼女が一人で建設中の街区の自宅にいることを心配して同行した。(ベルタさんには度重なる殺害や危害を加えるなどの脅迫があったにもかかわらず、自宅の警備はなされていなかった。)深夜、物音で目が覚めると、グスタボさんは部屋に侵入してきた男に撃たれた。ベルタさんの部屋に行くと、彼女は四発の銃弾を撃ち込まれており、瀕死の状態ですぐに亡くなった。(Intercept紙、2016年4月19日)

 その後、グスタボさんは警察や検察官の取り調べを受けるのだが、「被害者どころか証拠物件」「ほとんど心理的な虐待」という扱いをうけ、自らも負傷していたにもかかわらず、丸一日以上たってようやく医師の診察を受けることができた。また、取り調べのため約一週間ほとんど眠れず、それ以後もメキシコへの帰国を許されず、十分な身辺警護もない状態で一か月近くホンジュラス国内に足止めされた。これに対し、異議を申し立てた弁護士は解任され一時停職処分をうけた。(naclaインタビュー 2016年4月28日)

 このように、司法への信頼がほとんどない状況で、ベルタさん殺害犯と目される人びとが逮捕されたが、政府や軍・警察の関与も噂されており、家族やCOPINHはCIDHなどによる独立した捜査を要求している。6月15日には、公正な捜査をもとめる国際的なキャンペーンも行われた。

 

おわりに~環境と人権

 ダムの予定地であるグアルカルケ川は、レンカ人にとって、レンピラの遺産であり、勇ましい女の子たち(niñas aguerridas)

の精が宿っている場だとベルタさんは生前語っていた。(http://laquearde.org)自然から離れて暮らす人間にとって、川は単なる資源だが、その土地に住み、「時間をかけて地域文化を育んできた」人たちにとってはかけがえのない存在となる。

「川の恵みを受けるためには人間側にもそれ相当の自己研鑽が要求されるとともに、川の恵みを人間だけのために収奪しないという“作法”が必要」(『技術にも自治があるー治水技術の伝統と近代』大熊孝、農文協 2004)と、ダム一辺倒だった近代日本の治水の見直しを提唱する大熊孝はいうが、この「川」を、「森」や「山」と置き換えても通用するだろう。自然とともに生きてきた先住民族は、上記のような“作法”をもっともよく知る人びとである。そして、この人たちにとっては、生きる糧をうばう環境破壊は、自分らしく生きるすべを奪うものであり、彼らの人権をおかすものでもある。

 「そんりさ」のバックナンバーをめくってみても、メキシコやエクアドル、コロンビアなど多くの国で、鉱山開発、森林破壊、エネルギー開発などをめぐって、国や開発にたずさわる国内外の企業と先住民族を含む住民が対立し、コミュニティのリーダーやメンバーが拘留され、脅迫される例はめずらしくない。

ILO169条では、先住民共同体の土地に開発計画が及ぶ場合は、コミュニティとの事前の協議にもとづく合意が必要と定められているが、実際の効力は疑わしい。また、近年では、自由貿易協定のために、外国資本によるプロジェクトの破棄が巨額な政府への賠償金の要求につながることが、彼らの命を危険にさらしているという(前掲nacla、グスタボさんへのインタビュー)。2001年の同時多発テロ事件以降、社会的な抵抗運動を行う人びとを「テロリスト」視する抵抗の犯罪化(criminalización de protesta)の傾向も影響している。

ベルタさんの殺害事件は、ホンジュラスの国内政治の弱点を露呈したが、同時に海外からの投資をうけた開発計画が現地の人びとの安全と無関係ではないことを見せつけた。自由貿易協定や、地球温暖化を防止するはずの再生可能エネルギー開発などが、持たざる者、土地と一体化して生きる人たちの生活をおびやかしている。このような世界で、ときには「投資する側」につながる日本に暮らす私たちにできることはなんだろうか。ベルタさんや彼女の仲間たちに対して敬意と連帯の意をあらわす方法を、今まで以上に真剣に考えるときがきている。