シロツメクサ

 シロツメクサは江戸時代に日本に渡来した植物だそうです。”オランダからガラス製品を持ち込むときに、割れないように緩衝材として詰められていたことから「詰め草」。明治になると牧草として導入され、広がった”(稲垣栄洋『ワイド版 雑草手帳』2018年、東京書籍)とのこと。子どもの頃は冠や首飾りを編んで遊びました。

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 それから何十年もたって、最近また植物の世界に没入しているわけですが、なんでこうなったのかとふりかえると、まだ小学校に上がる前の子どもが昆虫に興味を持ったのがきっかけでした。そして、いっしょに鳥の巣箱づくり、観察会などに参加するようになって、一か所の植物(それが小さなベランダでも!)を通年で観察する面白さに熱中しはじめ、じっくり植物を観察したり、植物について書かれた本を読んだりするのが自分は好きなのだな、と再確認したのです。

 じっさいの植物にこうして触れるのと同時に、私にとっては中里恒子さん(1909-1987)の小説に出会ったことも大きいと思います。彼女の小説にはしばしば植物が登場し、おおきな存在感を示しています。

 たとえば、映画にもなった『時雨の記』では、導入部で「瑠璃色の花生のきゅっと締った口に、緋いろの木瓜の花がただ一輪はいっている」ところに主人公のイメージが投影されていたり、物語もほぼ終わりにちかづいたところで、恋人を失った主人公が、ある人の訪問をまちながら「ひとつかみ、たっぷりと籠に」水引草を「投げ入れたり」します。

 このほかに、美男の夫をもった女性の内心の葛藤を第三者的な視点で描いた「おらんだ蓮華」ー昔の人はシロツメクサのことをこう呼んでいたそうなのですー、「泰山木」「蛇苺」などなど植物の名前がついた辛口の短編がいくつもありますし、最後の作品となった「明治大正を代表するアルピニスト、そして科学者として高山植物の低地培養に心血をそそ」いだ実在の人物、辻村伊助の伝記的な長編小説『忘我の記』(1987年)もあります。生きておられたらお話をうかがってみたかった… 

 

忘我の記 (文春文庫)