読んでから観るか、観てから読むか

まったく外へ出られないわけではないが、とくに行くところもない子どもの、数年間の引きこもりの時代には、歩いて10数分のレンタルショップに親子でDVDを借りに行くのが習慣と化していた。だいたい2対1の比率で、子どもの観たいものと、私の観たいものを借りていた。最近は宅配でDVDを届けてくれるサービスも、動画配信のサービスもあるということで、現在いくつかを比較中。

そんななかでひさしぶりに観たのがこちら。3人の俳優(M.ストリープ、J.ムーア、N.キッドマン)の演技に、いつも以上に力がこもっているようにみえるのは、思い込みだけではなさそう。

 

 

 

 

三つの時代を生きる女性たちの、それぞれの人生のある一日をひとつの小説がつなぐ、映画の原作となったカニンガムの小説はまだだが、モチーフとなったウルフの小説(下記)は、もう二十年近くよみ続けている(なかなか理解できた気がしない)。おそらく、これからも読み続けるだろう。

 

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

 

 

そもそもこの小説を手に取ったきっかけが映画『ダロウェイ夫人』(マルレーン・ゴリス監督、1997、イギリス=オランダ)を観たことだった。DVD等は出ていないようだが、岩波ホールでの上映記録は こちら

 

社会的地位の高い夫と、子どもにも恵まれて、裕福な生活を送るダロウェイ夫人の一日を通して、彼女の人生に対するかすかな(?)後悔を描いている作品で、正直なところ当時の自分にはよく理解できなかった。むしろ、この映画館にいる人生の先輩らしき女性たち(ついでにいうと、エレガントな、英国好き風の女性たち)が、何を思いながらこんな作品を観ているのだろう、と想像したことを思い出す。彼女たちの年齢に近づいているいま、もう一度あの映画を観たらどんな気持ちになるのだろう?

 

ちなみに、『めぐりあう時間たち』も、初めて観た時よりも、何度目かの今回のほうがより深く味わうことができた。いまなら小説の『ダロウェイ夫人』も理解できるのだろうか? なんだかよくわからないものを観たり読んだりというのも、そのときどきの自分を知れるという意味でいい経験なのかもしれない。