8月15日

 8月になると、戦争の話があちこちから聞こえてくるのだけれど(1941.12.8-1945.8.15の日本が米国をはじめとする連合国軍と戦った太平洋戦争の話)、日本軍のメンタリティは脈々と受け継がれているような気がしてならない。学校とか会社とか。

 わりとリベラルな内容の記事で知られる某大新聞でも、社員旅行を「全舷」という軍隊用語で呼んでいる、なんて話も昔きいたっけ。

 で、以前にも引用したのだが、(”日本”国内で、住民も巻き込んで唯一地上戦が展開された)沖縄戦にこんなエピソードがあるそう。

 北部の山中にひそんでいた沖縄県出身従軍看護婦経験者の方の証言より。
 傷をうけた患者、看護婦の仲間に加わった軍曹が、「もうわれわれはたすからない。いっしょに死のう」といいだし、手榴弾の安全線をひきぬいて、鉄かぶとにたたきつけようとしたとき、(アルゼンチン生まれの二世の)仲村渠(なかんだかり)さんがとびおき、軍曹の手へしがみついて、「班長、そんなに死にたかったら、ひとりで、どこかへいって死んでください」と叫んだ(下記148ページより 大意)

「班長、そんなに死にたかったら、ひとりで、どこかへいって死んでください」

 結果としてこのグループの方たちは助かったようなのですが、この発言をなさった方は、日本人とはま反対?のメンタリティをもつアルゼンチンの個人主義のいい面を学んでこられたのだなと思います。私も、こんな場面に遭遇したら、大きな声で言えるようになりたいです(苦笑)

 

 

続・語りつぐ戦争体験2 沖縄県で戦った

続・語りつぐ戦争体験2 沖縄県で戦った

 

 最近は、戦争の余韻がまだ東京などの街角に残っていた時代のことに興味がでてきて、いろいろと読んでいます。女性や子どもたちはどうやって生き抜いてきたのか? また気が向いたらそんな話も。