旅の記録その3(サンタフェでオリガミ)

2013年3月29日 サンタフェ州某市、朝5時のバスターミナルには友人一家が迎えに来てくれていた。20年前の留学時に参加していた大学の合唱団で出会って親しくなった友人には、10年前の訪問でも世話になり、そのときまだ「友達」だった彼といまでは一家をなしている。旦那さんのご両親が、Cayastaというところに週末用の家を持っていて、そちらに釣りに連れて行って下さるというのでお邪魔することになったのである。そちらへ向かう前に、ひとまず友人宅へ。
 じつはこの一家(イタリア、スペイン系ですが)日本びいきで、私の友人はジブリアニメのファンだし、ダンナさんは「オリガミスタ(origamista)」。折り紙をする人のことをこう呼ぶらしい。ちなみにアルゼンチンには現在200名ほどの会員を擁するオリガミ協会なるものも存在している。(「折り紙」を指すスペイン語としては、papiroflexiaという表現もあります。念のため)折り紙と言っても、日本で創作折り紙とよぶようなかなり込み入ったものも普及していて、友達のダンナさんはこちらに傾倒しています。今回同行したうちの若い者も釣り好きの上に創作オリガミ派(自分ではまだ製図まではやらないけど)なので、今回ガレージを利用したアトリエでずいぶん長いこと一緒に作業していました。
 前回訪問した折、友人が私たち親子のために用意してくれた寝室にたくさんの折り紙が飾られていたのですが、それはいまのダンナさんの作品だったわけです。くどいがそのときはまだ「友人」で、その後そういうことになったそうでして… つきあっていた時代に彼が折ってくれた作品を、友人は大事にしまっていてそれを見せてくれました。折り紙用の紙というのは日本のようにどこでも売っているわけではないので、作品のほとんどは専用の紙ではなく、さまざまな包装紙を使って折られていましたが、イタリアの影響か、ちょっとした包装紙も色遣いがはっとするような色使いだったりするので、ふつうの一色づかいの紙を使ったものよりよほど美しく仕上がっていて感心させられました。
 というわけで今回お世話になるにあたって我々は紙を運ぶことにしました。銀座の伊東屋にも足を運んだのですが、最終的に買い物をしたのは「ゆしまの小林」。こちらでは折り紙教室なども開催されています。千羽鶴用の小さなものから、千代紙のような大きなもの(手すき和紙等)にいたるまで、およそ手に入らないものはないのでは?と思うような品揃え。先方からの指定のあった20×20センチ以上のサイズの紙と、こちらが面白いと思ったものを織り交ぜて買い込み、ハードなスーツケースにいれ、ホテルにつくたびに荷物から出しては水平な場所に置くということを繰り返し、先方に渡したときはほっとしたものでした。

 ちなみに友人一家の住む町は、乳製品の加工工場や、精肉その他さまざまな工場が集中していて、国内でも生活レベルの安定したところです。郊外に住宅地が拡大していて、かなりの豪邸も見受けられました。友人は旧市街で、親戚から、アンティークの家具ともども譲り受けたお宅で暮らしています。もともと絵を描いたり映画の勉強をしたりとセンスのいい人なので、居室のみならず、バスルームやキッチンも色遣いがきれいでした。中庭にはたくさんの多肉植物が飾られていて、サンタフェの明るい青空の下でそれを眺めているのは至福の瞬間でした。

2013年3月30日 まったりとすごした洗濯・休養日の翌日は、近隣のコルドバ市から友人が遊びに来てくれるというのでそれを待つ。1歳半の友人の赤ちゃんに会える! こちらは聖週間がらみの連休ということで旦那さんと車を飛ばしてきてくれたのですが(飛ばすといったら本当に飛ばす。120キロ当たり前)、サプライズで共通の友人を車に乗せてきてくれました。その友人からは、今回会えるかどうかたずねたメールで、今年の二月に祖母を亡くしたということや、移動が難しいということも聞いていたので、車から降りてきた姿を見たときは思わず目から水が流れました。
 この日コルドバから来てくれた友人たちは、20年前に学生寮で一緒にすごした仲間。ひとりは日系二世の父を持ち、もうひとりも日本びいきの優しい子たちです。どちらもアルゼンチン北部の出身で、コルドバ国立大学で学んだあとは、コルドバ市内で職を得てそちらで暮らしています。今回サプライズで来てくれた友人には、何度もサルタ市内のお祖母様のお宅でお世話になったのですが、このおばあちゃんへの思いは語りつくせないものがあります。フフイ州アブラパンパ生まれのおばあちゃんは、ちょっと見おっかない顔つきですが、心の広いあたたかい人で、料理上手できちんとした暮らし方を知っている方でした。きちんとしていながら、考え方はとても自由で、一度ゲバラの話をしているときに「ほんとうにいい男よね。軍政時代も彼の本を隠して持っていたわ」とおっしゃってたのを覚えています。おばあちゃんを見ていると、人間の大きさというのは、地位とか財産、「教養」とはなんの関係もないとしみじみ感じたものでしたが、今回友人から、想像以上に多くの人たちが訪れ、しかも若い人たちが多かったという葬儀の話を聞いて確信を強めたのでした。私も彼女のひろい心の片隅においてもらえた幸せを感じています。 
 おばあちゃんは孫娘のいる寮にもたびたび顔を出しては手作りの絶品エンパナーダを皆にふるまっていたらしく、寮の友人たちの間にもファンは多かったようです。孫娘もおばあちゃん譲りの性格で皆に愛されており、今回一緒に来てくれた友人のお子さんもすっかり彼女になついていました。プライバシーの関係があるので、写真は出せませんが、白い肌、金髪のくるくる巻き毛の赤ちゃんは、まるで天使か!と思う愛らしさでした。まだことばを話さないのもあって、よけいに(笑) いっしょにご飯を食べに行った先でも、かたときもじっとしていませんでしたが、よちよちと歩いて行ってにっこりほほ笑むと、よそのおとなもみんなメロメロという…… 少々意地悪なことをいいますと、やはり黒髪よりも金髪、褐色の肌よりも白い肌が好まれるという背景もあります。で、いろんな肌の色、髪の色の人たちが結婚して子どもを持つと、その子たちの肌の色や髪の色が成長とともに思わぬ変化を見せるので、日本でいわゆる「日本人」の子どもの成長過程だけを見ていると想像もつかない展開になります。あ、次の十年後の訪問が楽しみになってきた(笑)