カタストロフィ

海外の新聞を読んでいたら、ハイチの地震について"catastrofe"という単語を使って語っているものがあった。英語だと"catastrophe"。日本語でも「カタストロフィ」というけれど、そのなかで苦痛におしひしがれる人々の様子を知って思い出すのは、かつての阪神・淡路大震災のことであったり、近くは一昨年の12月から1月にかけておこなわれたガザ攻撃のこと。そのときほんの少しカンパをした関係で、パレスチナ子どものキャンペーンから送られてきたニューズレターが、書類の山から出てきた。

昨年10月に発行されたその小冊子の目立つ所に「ガザ越冬の窓ガラスキャンペーン」という見出し。

今年1月のイスラエル軍の攻撃で破壊されたガザの町と家々。半年経った今も、瓦礫の撤去は進まず、破壊された建物はそのままです。それどころか、学校や病院の窓ガラスも壊れたまま。厳しい封鎖で、建設資材もセメントも入らないからです。(略) パレスチナ子どものキャンペーン会報『サラーム No.84』より

ガザで、ポルトープランスで、どんな風が吹いているのだろう? そして、そのような風にさらされる「彼ら」と「私たち」の間に、いったいどんな違いがあるというんだろう?