私が歩けばあそこに到達する

環境汚染が原因の病気のひとつである水俣病有機水銀中毒)は、日本(熊本、新潟)だけに特有なわけではない。かつてカナダにも化学会社による有機水銀中毒の事例があった。その被害にあったのはふたつのインディアン(先住民)の居留地の人々だった。

水俣病の問題に深くかかわった社会学者の鶴見和子さんは、この居留地を1977年に訪れ、インディアンの酋長(原文ママ)の奥さんと話した―

「私は自分たちの子どもたち(自分の子どもといわないんです。)のことを考えると、この湖が水銀で汚染されてこれからずっと長いあいだ魚が食べられない状況を考えると、われわれインディアンがそのために職業を失ったということを考えると、とてもとても心配でこういうふうになりました。(引用者注:この前に触れられた38歳なのに50歳ぐらいに見えるという彼女の外見のことか?)これから私たちが生きていく道は自立の道です。」
この自立という言葉が私の胸にこたえたんです。居留地のなかに囲い込まれていながら自立の道をいうのです。そして自立するためには何をしなくちゃならないかということ、「私たちはまず畠をつくることを忘れました。白人の生活のように何でも買えばいい、野菜なんか買えばいいと思ったために忘れました。だからこれからもう一度私たちのおじいさん、おばあさんのところへいって、どうやって畠をつくったのかを聞いてきて、私たちはいま畠をつくっています。ビタミンCが足りないと汚染はひびくのです。体に悪いのです。体にビタミンCがはいっていると水銀汚染はわりあいと防ぐことができるんです。」

この女性ジョゼフィーンの住む居留地ともうひとつの居留地は、日本の水俣病患者と交流を始め、そのことによって集団裁判に踏み切った。汚染の責任者である会社を告発し、補償金の請求を千名ほどの連名で始めた。このふたつの居留地は水上飛行機で三十分ほど離れている。「沼地でどうやって歩いていいかわからないようなところ」(鶴見)をジョゼフィーンは歩いて行って連絡をして、このふたつの居留地がいっしょになって裁判を開始した。どのくらい時間がかかりましたか、と聞いた鶴見さんに対してジョゼフィーンは「ナンセンス」と答えたそうだ。

ホワイト・ドッグから、グラッシー・ナロウズまで歩いてどのくらい時間がかかるでしょうか、私は途方もないと思う。ところがかの女は、「時間というものはないのだ」と私に教えたのです。「私が歩けばあそこに到達する」といったのです。かれらの子どもや孫たちが生きていくために、一つの集団ともう一つの集団とを、つなげる役割を、この酋長のおかみさんが果したのです。(中略)分断されているインディアンたちが日本の人たち、水俣の人たちと交流し、そのことによって隣の居留地と結合した。そして結合の結び目に女が立っている。これが女の力だとわたしは考えます。それが草の根のたくさんの小さなシャーマンとしての私たち女の力だと思います。(鶴見和子『殺されたもののゆくえ:わたしの民俗学ノート』はる書房、1985、128〜130ページ)