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旅の記録その2(トゥクマンの月をあおぐ)

20代前半から、10年ごとにアルゼンチンを訪れている。地球の反対側のこの国にひかれるわけは、10代のころに出会った音楽の影響だ。中学生のときに知ったフォルクローレという音楽、なかでもとりわけアルゼンチンの女性歌手メルセデス・ソーサの歌にひかれた。ソーサの歌うチリの新しい歌やアルゼンチン・フォルクローレの名曲でスペイン語を学び、ラテンアメリカの歴史を知っていった。ほんとうはもっとひんぱんに訪れたいところだけど、いかんせん移動にお金も時間もかかる。幸いなことに仕事がら時間だけはなんとか確保できるけれど、今回は子どもの休暇の関係で、二週間というかつてない短い期間の旅になった。

2013年4月25日 夕方の飛行機でトゥクマンにたつことにしたので、それまでブエノスアイレス市内ですごす。ちなみにトゥクマンへ行く方法としては、鉄道=26時間かかる、と、バス=12時間前後?の方法がある。飛行機なら2時間弱。本来なら飛行機なんて使える身分ではないが、長時間の地球半周フライトのあとということもあり、体力にも自信がなかったので奮発した。
 ブエノスアイレス市内の地下鉄のほうは、すっかりきれいになっていてびっくりした。駅構内はかわらない印象だが、車体が新しくなりとても明るい感じ。昔は一部路線に丸ノ内線の車体が利用されていたりして、レトロなイメージだったけれど。ちなみに料金はどこまで乗っても2.5ペソ(10年前は0.7ペソ)
 10年前にしばらく滞在していたホテルの近く、国会議事堂周辺に行ってみた。「五月広場の母たちの会」の事務所があった記憶があり、議事堂前広場でその団体が運営している回転木馬が当時4歳の子どものお気に入りだったので。今では事務所は近所に移転して小さくなっていたが、近辺に社会運動系の本を置いているバー兼書店が何軒かあった。そのうちのひとつ、「革命家」(El Revolucionario)という店のウィンドウにはフーコーマルクス、ホブズボウムなどのスペイン語訳書が並んでいる。そこから通りひとつ隔ててLa vacaのバー兼書店。このグループの作るタブロイド紙型の雑誌“MU”はブエノスアイレスの国際空港の書店でも見かけた。
 ここで一休みしてから5月通り沿いに歩いてみた。歴史のある土産物店や劇場などが道沿いにつづくなかに、「点字メニューあります」と小さなお知らせの出ているスターバックスコーヒーの店も。日本にいるあいだ懐かしく思い出していたデミタスカップに入ったコーヒーと、グラスにはいった炭酸水がセットで出てくるカフェも、グローバリゼーション?の進んだ昨今は若者には人気がなくなっているのかな。年配の方がおいしそうにゆったりと珈琲を楽しむ風景も健在ではあるけれど。日本だったらさしずめ「昭和風喫茶店」というところか?? 
 ホテルから国内便の空港アエロパルケにタクシーで向かう途中、ラプラタ川が見える。向こう岸がみえない海のような川。物心ついて初めて見る光景に歓声をあげる子どもに、タクシーの運転手さんがほこらしげで微笑ましかった。アエロパルケもずいぶんきれいになっていた。ラウンジの一角にすずしげなみどりのスペースがあると思って近づいてみるとガラス越しにささやかな竹林が。
 トゥクマンには夜到着。蒸している。荷物がなかなか出てこなくて心配していると、コンベヤーが止まってしまったみたい。人力で荷物がおろされてくる。市内へ車で移動。日本からネットで予約していたホテルは、思った以上にきれいで人心地つく。(ブエノスアイレスでは宿には少々恵まれなかった… どこも建物が古いことはわかっていたので、かなり用心して選んだつもりだったが。)ちなみにこのトゥクマンのホテルの朝食は焼き立てパン・焼き菓子・シリアル・ヨーグルト・チーズ・ハム・自家製ジャム数種にジュース、お茶などの飲み物、パンやお菓子は日替わりで中身が入れ替わる豪華なものだった。

2013年4月26日 ブエノスアイレスで出会ったミリアムさんの友人パトリシアさんに電話してみると、さっそくお目にかかれることになり、大学の文化センターや研究施設などを案内していただいた。パトリシアさんは、長いこと北部のフフイ州で暮らし、いまはトゥクマン在住だが、学校で子どもたちと一緒にカーハのうたをうたうプロジェクトなどを担当していらっしゃる。文化センターで本を購入したのち、社会学研究センターで研究者の方にお話をうかがう。
 宿に帰って昼食、シエスタのあと図書館で資料を見て、夜はパトリシアさんの友人宅でアサド。炭火であぶり焼きした肉をおなか一杯になるまでいただく。お肉のみならず、茄子を工夫して調理したサラダなどがたいへん美味でした。こちらのお宅の女主人は、トゥクマン大学で植民地時代の歴史を勉強しているのだが、先住民とヨーロッパ系住民の関係について詳しく、資料をいろいろ紹介して頂いた。小さなお子さんがいらっしゃるが、なんとか時間をやりくりして勉強をつづけているとのこと。残念ながらくもっていたので、トゥクマンの満月はみられませんでしたが、広いお庭でこおろぎの声をききながら一瞬忘我の心境に。
2013年4月27日 日本から予約をいれていたツアーに出発。若者に人気の避暑地サンペドロ・デ・コララオに車で。ホテルに到着したガイドさんを見てびっくり! おそらく二十代の若い美人さん(それもとびっきりの)。安定した運転と、行き届いた説明を聞きながら往復200キロちょっとのドライブを楽しんだ。カディジャルのダム湖、動物園やルルドの聖母の洞窟のレプリカ(!)、街の教会や広場、自然博物館… 好天のもと、のんびりと休暇気分を味わう。ランチで食べたウミータ・エン・チャラ(Humita en chala とうもろこしの皮でくるんだちまき。すりつぶしたとうもろこしのペーストのなかにチーズがはいっている)がなかなかのお味でした。
写真はlangosta quebracheraという巨大バッタ。ルルドの聖母のお導きで見ることができました(?)
2013年4月28日 市内観光。ひざしがきつく暑い… 聖週間の行事が本格的に始まっている。トゥクマンは独立宣言が出された「独立の家」が観光の目玉だが、観光シーズンは終わりかけのようで、出店などもへっていた。トゥクマンを象徴する茶色と赤のポンチョを買いたかったが、荷物とふところの関係で断念。ツーリストオフィス前のベンチには、メルセデス・ソーサの銅像がある。太鼓をたたきながら歌っている彼女の横で記念撮影。おのぼりさんである。ソーサの没後かれこれ3年ほどたっていて、博物館を作ろうという話もあるが、まだ実現していない(自伝で読んだかぎりでは、ソーサはトゥクマンには複雑な思いを抱いていたらしい。ということは逆もあるのでしょうか←邪推?)。独立以降、全国レベルで活躍する有力な政治家を輩出し、19世紀末〜20世紀初めは砂糖産業で栄えたこともあって、中心広場を囲む州庁舎などはとても豪華だった。いっぽうで路上で眠る少年やおとなの姿もちらほらと見かけた。
 トゥクマンを出るバスの窓からようやく月を拝む。アタワルパ・ユパンキの名曲『トゥクマンの月』で「カルチャキの太鼓」とうたわれた丸い月。サトウキビ畑の向こうに浮かぶ月をながめつつサンタフェ州へ。

おまけ ガイドさんに教えてもらった(車中で聞かせてもらった)若手の人気歌手アベル・ピントスがトゥクマンの遺跡で撮影したというビデオ