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旅の記録その1(10年ぶりのアルゼンチン)

2013年3月22日 22:30発の飛行機(カタール航空)で日本を出発。グレーとボルドーで統一された機内はとてもいい感じ。聞いていた通り、アメニティグッズも充実していた(耳栓、靴下、歯磨きセット、アイマスク)。エコノミーでもかけごごちのいい椅子だったし、乗務員の制服もおしゃれ。機内放送はアラビア語、英語、東京―ドーハの便はANAとの共同運航ということで日本語もありだった。食事はイスラム教の教えにのっとって調理されているとのこと。主な素材は、チキン、牛肉、野菜。食事はメニューによってやや当たり外れのある印象だったけれど、バターやクリームチーズが美味でした。それと、小さなことだけれど、機内で配られるキャンディー(ドバイ産)が自然な味で美味しかった。座席の背中、つまり座った目の前にモニターがついており、ゲームや映画、音楽も好きなだけ楽しめる。映画は日本語の吹き替えがついているものこそ限られていたけれど、アラブ文化圏のテレビ番組や映画も入っていて(英語の字幕がついていたり、なかったり)充実していた。

2013年3月23日 ドーハでトランジット。3時間というちょうどいい乗り継ぎ時間。日頃目にすることの少ないアラブの衣装を身に着けた女性たちがとても魅力的でした。目元まで隠すタイプを着ていた方はひとりしか見かけなかった。免税店での販売品も充実していて、豊かな印象。ここからが半日以上の長い旅。アフリカ上空を通り、大西洋上を横切ってサンパウロへと向かう。飛行経路画面を見ていると、たぶん一生踏むこともないだろうアフリカの地名が映し出される。
 サンパウロでは機内で待機。旅券のチェックがあった。アルゼンチン人と思しき旅行客が次々に乗り込んでくる。復活祭前の聖週間の休暇を目前に控えた時期ということで、人の移動があるのかな? ブエノスアイレス国際空港エセイサに着くと、税関は長蛇の列。里帰り風の大荷物を抱えた人たちが目につく。ここで両替。1ドル=およそ5ペソ(公定。闇だと7〜8まであるみたい)ちなみに2003年に訪れた時は1ドル=およそ4ペソでした。その前の1992年は1ドル=1ペソだったから隔世の感がある。飛行機の到着は21時近く、ホテルのある中心部へのタクシーがなかなかこなくてホテルについたのは23時すぎ。とぎれとぎれながらも寝る。

2013年3月24日 とりあえずホテルの近所を散歩。ブエノスアイレスでの時間が少ないので、お土産を買わなくては!と朝から出かける。こちらは夏の終わりだが、サンマルティン広場では薄紫のハカランダ(ジャカランダ)の花がまだ少し残っていた。パロボラッチョ(トックリキワタ)はいまが盛りで、ピンクや白の花がきれいだった。最近は外国人旅行客が犠牲になる事件も増えているということで少し緊張しながらも、広場からフロリダ通りを散歩。午前11時ごろだとまだお店はほとんど閉まっているが、熱心なお店はあけていて、皮革製品などをチェックしつつぶらぶら。
 この日は1976年に軍事クーデタが勃発した日であり、復活祭前の最後の日曜日、枝の主日でもある。街を歩く人たちがオリーブの枝を持っていたのが印象的。これを一年間飾る家庭もあるそうだ(道端に捨てられているのも見たけど)。節分のひいらぎのようなものでしょうか。大統領府(カサ・ロサーダ)前の五月広場では、クーデタの記憶を忘れまいという行事の準備が進んでいた。軍事政権時代前後に失踪した人たちの顔写真のポスターも見られた。
 その一方、観光客向けにはブエノスアイレス出身の新ローマ教皇フランシスコ一世のポスターやら顔写真をプリントしたTシャツが販売されていた。商機はけっして逃さない。立派。
 夜は10年前の訪問で出会い、自宅にも招いてくれた音楽家で「カーハのうた」研究家のミリアムがホテルに迎えに来てくれ、歩いて数分のところにある北部料理の店に連れて行ってくれた。オーブンで焦げ目のついたエンパナーダの美味しかったこと! チーズとカジョテ(そうめんうり)のシロップ煮のデザートも超美味でした。じつはここで食べたエンパナーダが旅行中で一番美味しかった(笑) 本来トゥクマンがエンパナーダのふるさとらしいのだけど… ま、世界中どこにいってもあることですね。ここの店は配達もしているそうで、あとで聞いたら地元(ブエノスアイレス)でも評判のお店だった。
 この10年のあいだに、カーハのうたの研究に大きく寄与したイサベル・アレツも、レダ・バジャダレスも亡くなった。ミリアムの責任も重くなる… 彼女が一緒に仕事をしているパトリシアに連絡をとってくれ、トゥクマンでの日程も目鼻がつきそうだ。フェイスブックのようなSNSサービスもあるとはいえ、やはり膝突き合わせて話をしてみないと気持ちは伝わらない。