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瞳の奥の秘密

アルゼンチン映画『瞳の奥の秘密』を観た。ひとつの殺人事件に絡んだ人間関係が引き起こす、25年間にわたるドラマ。なぜ25年もかかってしまうのかというところに、アルゼンチンの現代史と社会の構造がからんでくる。アルゼンチン国内であれば、多くの人たちが記憶を共有しているのだが、外の社会の人間にはひとつひとつの出来事があまりにも唐突で、作りものめいたメロドラマにしか見えないらしい… 私もそんなにアルゼンチンの社会に精通しているわけではないが、映画自体にもそのあたりの説明的な描写がほとんどないため、多少なりとも唐突さを薄める一助になれば、と気づいたことを書きとめておく。

まず、人が殺されたり失踪しても警察は何の捜査もしないのか、という疑問を呼ぶ場面がいくつかある。この点に関して。20世紀に入ってからアルゼンチンは何度も軍政を経験しているのだが、現在までのところ最悪といわれる1976年から83年の軍政時代には、軍が関与していたとされる失踪者が3万人以上いたという話についてはご存知の方も多いと思う。だが、「過激派(subversivo)」と呼ばれる人たちへの弾圧は、1976年以前からすでに始まっていた。映画にも登場してくるイサベル・ペロン(1974年就任。1976年まで大統領)は当時の失踪者の件で、現在スペインで拘束中の身だという。だれかが突然行方不明になっても、警察がきちんと調査しなかったり、家族が真相を知らずに放置されるのは別に不思議なことではないという不条理な状況が1983年まで続いた。現在でも責任者への処罰がすんだとはいえず、いまだに身元不明の遺体が見つかることがある。

それから、主人公があこがれる米国留学帰りの判事補について使われている"intocable"という表現について。英語だと"untouchable"、「触れることができない」という意味の形容詞だ。彼女の親族が大きな権力を持っていることが何気なく示唆されているが、首都ブエノスアイレス、主要地方都市の実業家、判事、大学教授、知事などが親戚・姻戚としてつながっていて、田舎へいけばいくほどその力が大きくなるという現実がある。地方では、人口もブエノスアイレスより断然少ないし、昔の日本の田舎を想像してもらえばいいかもしれない。実際、有力な親戚のつてをたどって地方に逃れ、軍政時代を生き延びた人の経験談を聞いたことがある。

最後、映画の結末について。詳しくは書けないけれど、ある意味「ありえない」この映画の結末については、こうでなければならなかったのだと思う。かつてあった、暴力にみちた理不尽な時代のなかで、「私たちにできることなど何もない」という無力感に打ちひしがれた人びとに、「困難な道かもしれない」けれど、希望に満ちた未来を選ぶことができるのだという呼びかけのように私には聞こえたのだった。