ガザ空爆の内実〜アミラ・ハスの記事より(ハアレツ紙2008・12・29)

日曜日(12月28日)3時19分、電話の向こうで、撃ち込まれるミサイルの音が一発、聞こえた。それから、子どもの恐怖の叫び声と重なって、もう一発。ガザ市のテル・アル-ハワの近くだ。高層アパートの建物がひしめく地域、どの建物にも何十人という子どもがいて、ブロックごとに何百人もの子どもが住んでいる。

子どもたちの父親 B が、隣の家から煙があがっている、と言ったところで電話は切れた。一時間後に、アパートが二軒爆撃された、と彼は伝えてきた。一軒は無人だった。だれが住んでいるか彼は知らない。もう一軒は死者が出た。その家はロケット砲を撃つ細胞のメンバーの持ち家だが、重要な人物がいるわけではない。

日曜の正午、イスラエル空軍はガザの国家警察の敷地を爆撃した。そこにはガザ市の主要な刑務所がある。3人の囚人が殺された。2人は明らかにファタハのメンバーで、3人目はイスラエルとの共謀罪で有罪判決を受けた囚人。ハマスガザ地区の他のほとんどの刑務所から、ここの刑務所なら安全であると考えて、囚人を移送していた。

日曜の午前12時、Sは電話で起こされた。「どうしても眠れない」と電話の主はいった。「受話器を取るとアラビア語で録音された声が聞こえ、『武器あるいは弾薬を持っている者の家は無差別に爆撃する』といったからだ」

近所の一家で3人が殺された。全員が20代の若者だ。ひとりとして武器や弾薬を持っていた者はいない。通りかかった車をイスラエル空軍が爆撃したとき、道を歩いていたにすぎない。また別の家族は16歳の娘を失い、その妹も重傷を負った。イスラエル空軍はパレスチナ行政府の警察署がかつて入っていた建物を爆撃した。そのすぐ隣が姉妹たちの通う学校だったのだ。

S は、ある友人を訪ねたとき、土曜日の爆撃の結果を目撃した。友人の仕事場はガザ市警察本部のすぐ近くにあった。その爆撃で殺された1人、ハッサン・アブ・シュナブは、かつてのハマスの主要人物、イスマイル・アブ・シュナブの長男だ。

父親のアブ・シュナブは、5年前にイスラエルが暗殺した人物で、ハマスのなかで(イスラエルパレスチナの)二国家共存の解決案を最初に支持した政治家だった。息子のハッサンは地域の大学で職員として働きながら、警察署の楽隊で演奏するのを楽しみにしていた。彼は爆撃のあった土曜日、警察の卒業式で演奏していたところだった。

「70人の警官が殺されました。みながみなハマスのメンバーというわけではないんです」とハマスに反対の立場をとる S は語った。「ハマスを支持する人たちは職を探している若者で、サラリーが目当てだった。彼らだって生き延びたいわけですから。彼らは、それゆえに死にました。70人が皆殺しです。この襲撃はハマスに対するものじゃない。われわれ全員に対するもの、民族全員に対するものです。こんなやり方で、自分の民族や母国が破壊されることを承服するパレスチナ人はひとりもいない」

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くぼたのぞみさんのブログhttp://esperanzasroom.blogspot.comより転載させていただきました。